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テッキーの山歩き

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足助の町並み

香嵐渓で有名な足助(あすけ)町は、平成の大合併で2005年4月1日から豊田市になりましたね。
古来、三州街道の足助宿として栄え、奥三河の中枢拠点でした。
そして今も、白壁の土蔵や、格子戸、黒い板壁など、昔ながらの建物が佇んでいます。

香嵐渓でもみじの下を歩き、足助の町並みも少しだけ散策しました。

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街道の宿屋。今も一軒だけ当時のように営業されているそうです。
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伝統的建造物群保存地区とされている町並みは、全体に趣があります。
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書店のレイアウトもお洒落です
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足助の町並みのなかでも、最も美しいといわれているのが「マンリン小路」です。
黒い板壁と白い漆喰のコントラストを楽しむことができます~
ちょっと綺麗すぎかな・・・
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中心の街道の道幅は気持ちがいいほど広く、小路は狭い坂道になっています。
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両口屋も白壁 
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旧鈴木家
近世は紙問屋、近代は土地経営などで財をなした、鈴木氏の豪邸です。
足助町を少し歩いて、ここが一番印象的でした。
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土間がある家は懐かしく、「ただいま~」という気分でした(#^^#)
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即、「ただいま」は取り消し!
とんでもなく大豪邸でした・・・
鈴木家の屋号は「紙屋」
かつては紙問屋、後に両替商や知立方面における新田開発で財を成したようです。
1776年の建設で、敷地を拡張しながら座敷や土蔵を順次増築し、明治時代までに現在の建物が整備され、足助において最大級の敷地をもちます。
鈴木氏は、城主が滅亡した後の足助城の所有者にもなっていたようです。


朽ちている部分も多いのですが、その造りと広大な面積には惚れ惚れする旧鈴木邸でした・・・
家の中には「御籠」が展示されていました。
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紙問屋を築き上げ、繁盛していた時代のご先祖は、雲の上からどんな想いでこの時代の流れを見下ろしているのでしょう・・
考えても仕方のないことですが、少し切なくなりました・・・
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伊那街道沿いの重伝建地区の中心部に位置し、街道から川筋へと屋敷の建物群が扇形に広がっています。
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ここも敷地内です。
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2013年8月に16棟が国の重要文化財に指定されました。
損傷が激しく、一部モルタル施工など後世の改変が目立つので、今後数年かけて修理され、その後に公開される予定だそうです。
その時は、一日かけてゆっくり見学したいと思いました。



通りに戻り、狭い路地を抜けて行くと、ガラッと雰囲気は変わり、遊び心満載のメルヘンチックな演出がされていました。これは、個人の趣味でしょうね♪
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テレビ番組「ぐっさんち」や「おじさんぽ」で見たことがあります~
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香嵐渓、足助の町並み、お付き合いいただきありがとうございます(^_-)-☆
この週末はお天気が良さそうで、香嵐渓は賑わうでしょうね。
気温が低く、空気が乾燥してきますね。
風邪やインフルエンザには十分お気を付けください~

# by tekky521 | 2014-11-21 15:40 | その他 | Comments(2)
香嵐渓の中心となっている山が、標高254mの飯盛山です。
そして、待月橋を渡り背の高いもみじで覆われた参道の奥に、香積寺(こうじゃくじ)が建てられています。

香積寺の山門をくぐります。
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香積寺(こうじゃくじ)
滅亡した足助氏の菩提を弔うために建立されたと言われます。
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ここ、香嵐渓のもみじは、江戸時代中期に香積寺第11世住職三栄和尚が手植えしたのが始まりです。


香積寺の左側に散策路が続きます。
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祠が建てられていました。
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楓の黄色や朱色が綺麗です。
緑が濃い夏も気持ち良さそうですね。
来年の春先には、カタクリの群生を見に来たいです~
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あずま屋では、のどかな空気が流れていました。
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足助城跡、と刻まれた大きな石。
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城主が見下ろしていた、足助町の街並みが見えます。
住職が始め、足助町の人々によって植えられた楓は、町に活力を与えていますね。
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香積寺から見る山門。
美しい光景でした・・・
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青い楓は、清々しさが感じられますね。
「生きている」感じがします~
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古い農機具が置かれていました
奥から、唐箕(とうみ)、千歯こき、手前のむしろを編むのは何という名前か忘れました・・・
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この広場でひときわ目立っていた、大きなイチョウ
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トトン、トン、トトン、トン、、、軽快な太鼓の音が鳴り始め、
猿回しが始まりました~
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お揃いの法被を着た、猿使いのオジサンと息がピッタリ☆彡
親子かと思いました(^_-)-☆
オジサンとのコント、竹馬、ジャンプ、、、気が付くと周りは人だかりでした。
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11時前には、この混雑です!!
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ところで、「香嵐渓」と言うの名の由来は・・・
1930年(昭和5年)、当時の住職と町長が大阪の毎日新聞社社長の来町の際に、「飯盛山からの薫風は、香積寺参道の青楓を透して巴川を渡り、香ぐわしいまでの山気を運んでくる。山気とは、すなわち嵐気也」と言うことで「香嵐渓」という名が付いたそうです~(^^)/
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11時半ころの様子・・・
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この後、足助町の散策をし、153号を帰りました。
午後2時前の帰路は、車が少なく快適でした。
対向車線は、「香嵐渓まであと6km」の看板の辺りから渋滞が続いていました・・・
・・・最後尾の車は、ライトアップの消灯までに到着できるか疑問です・・・
勤労感謝の日の連休は、さらにもみじの色も深くなり、人も集まるのでしょうねー!
# by tekky521 | 2014-11-19 17:52 | その他 | Comments(2)

名古屋からの日帰り山歩きのご報告。庭のお花たちや、日常のひとコマも時々登場しま~す♪♫


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